黄金町 Sound & Scape について、その2

2009年7月20日黄金町シネマジャック&ベティカフェでライヴ企画「黄金町 Sound & Scape 第一夜」を開催した。

●横浜に移り住んだのが1998年の夏、最初は鶴見で、2000年から弘明寺と京浜急行沿線に住み続けている。

実は、私が初めて東京方面に来て降り立った駅が京急の黄金町だった。

受験で来たのだが、当時泊まるホテルが黄金町。いかがわしいホテルではなく、今はつぶれたニューオータニ。

石川町のタワレコにも行った、ホイットニーヒューストンの1stやストーンズのハーレムシャッフルの7inchやスティーリーダンの2枚組ベストとか買った覚えがある、歩いて帰ろうとして、迷い込んだのが寿町だった。リドリースコットかと思うほど、蒸気が漂う、ドヤの雰囲気は怖かった。二度と来てはいけない行けないところだと思った。

それから10年ぐらい経ってから、今日まで、毎年のように、寿町フリーコンサートに足を運んでいる。もう、ボガンボスもJAGATARAも出ていない時代からだけど。

やっぱり、自分のような60年代生まれの田舎の人間にとっては、横浜のイメージは横浜駅周辺やみなとみらいではなく(とはいえ、山梨のころ、わざわざ、東横のガード下のグラフィティを観に行ったりした、91年ぐらいか)、関内や石川町で、移り住んでからも、伊勢佐木町や馬車道、野毛や黄金町に惹かれていました。弘明寺に住んで大岡川で繋がる感覚も大きいのかも。未だに本牧には足を踏み入れていないものの、車がないから致し方なし。

皮肉なもので、いつしか10年以上住みなれた都市は、受験して住むであろうと期待していた町だったりもする。山梨に10年寄り道して、ここに辿り着いたのかもだ。今住んでいる弘明寺は門前町で横浜らしい気ぜわしく起伏に富んだ土地に住宅が密集して、商店街や駅前があるので、そのうねりのある道筋に、金沢の城下町の街並みを思い出したりもする。

●鎌倉でのフィールド撮影を敢行している時や、Flying Trainsでの企画をミーティングしている時にJeffry五徳さんがよく、街並をその土地を見ていくことによって、その土地にいる人間性の風土が見えてくるのでは?と話していた。ライヴなどの活動の主たるところは東京、それも中央線が多かった。もともとキャンプでのライヴや樹海のパーティでのDJをやっていたから、場所の面白みというのは重々判っていたけれど、なかなか、自分の感覚をそのまま打ち出す気にはなれていなかった。

●鶯谷What’s Up、町田Play House、新宿Smokin’ Boogie、CrawDaddyClubというのは場所の面白みがあった。どれも、ホテル街、ホテル街、新宿2丁目、歌舞伎町のホストクラブ街という特殊なロケーション。特に鶯谷はそのもののど真ん中にあるは神社の敷地の真下にハコがあるは、狭いのに轟音だわで、かなり、場の面白みを堪能できた。イベントに呼んでいただいたオカニワさんは、自分たちの地元に、こうした場所が欲しかったし、シーンがあるべきだと、語っていた。浅草ロックと歌っていたリザードも結局当時は、中央線や渋谷、新宿でライヴをやるしかなかったと。

●横浜で、匂いのある街で、馬車道や日本大通りのよそ行き感覚も悪くない、BankARTやZAIMでのライヴの祝祭感はいつも至福だった。

●黄金町その街並みをが一掃したのは、悲しい出来事だった。諸悪かね?あれが。確かに街のイメージとしてはドヤ街と変わらぬものかもしれないが、はてさて、それらは一体どこに流れたものか?初めてそこに迷い込んだ時の畏怖感は凄かったが、あのイルミネーションのガード下、半間くらいの入り口で、客引きをする、風情。景色を失って初めてわかる、街の喪失。そこにあった、吐き出された、落としこまれた情念やらは、人間から消え去るものか?映画「赤目四十八瀧心中未遂」を今はつぶれた黄金町の日劇で見た、そこに描かれたボトムラインの人々、安い木賃宿ともつかない襤褸アパートの一室が赤線のような場所になっていた。昔、散歩して見た川崎八丁畷のタコ部屋近くのコインランドリーが立ち呑み屋化した風情—–鶴見の硝子工場で寮住まいで生活している頃、鶴見の工場地帯側は、移民の街、沖縄街(笙野頼子の作品「タイムスリップコンビナート」にもフィクションな風情で出てきた)に、南米の移民文化が入り込んでいる、その辺の酒屋には立ち呑み屋が併設され、表にビールケースを出して呑んでいる人たちが居た、公園に住むホームレスのラジカセから沖縄民謡が流れていた。実家金沢は駅前に近いところにあるので、駅前の裏をちょっといくと、いなたい呑み屋の風情があった(やはり、今は一掃されてしまった)。車谷長吉のように文学的に絶望的に偽貧を気取るつもりはさらさら無いが、こうした都市の歪のようなエリアは果たして、それを一掃したところで解決になるのか?それは、「確かな風景」ではないか?と昔も今も思う。ただ、こうして、一掃され、その場所をちゃんと復興しようという人々が現れて、少しづつ、場所を再生復興しているからこそ、私はそこで、何がしかの表現を出来るようになったのだから、よしとするところではあるのだけれど。皮肉ではある。

●黄金町の日劇は今はマンションとなったが、その対面の映画館シネマジャック&ベティは存在する、この奥を海側にまっすぐ進めば、花街があった横浜橋商店街(いつかはその先の三吉演芸場で企画をやりたい!!)、一つ通りの向こうは、伊勢佐木モールで、関内、馬車道へと続く、まさに横浜の匂いのある町並。逆側を橋を渡り、左に折れれば、黄金町スタジオである。

●Sound & Scapeの前に、Soundscapeという言葉がある、空間的サウンドを志向していたのと、フィールド音との共生を考えていたかったから、この言葉に行き当たったが、実際、学術的なSounscapeを学究するわけではない。空間音とフィールド音という二律背反するあり方、いびつなグラフィカル性、パノラマ観が重要だった、1回目のシネマジャック&ベティカフェも2回目の試聴室その2も、ガラス張りのドアが入り口となっている。1回目は暗幕を挟むことで、見世物小屋の風情であったが、2回目はよりフィールドとの対峙が空間に影響を与えるだろう、川べりで、高架下という特殊性がある。雑多な町並みに生まれ育ったから、こうした都市の一部に、風景を感じるのかもしれない、用水路の町金沢と、まるで小さな運河のように存在する大岡川も似ているのかもしれない。その一部を切り取るように、音景が浮き立つ、小さな祝祭を、と思う。それは狂騒に限らず、協奏であるかも知れない。

→ひゃあ、終わらないね、承前が。まずは、2回目の告知を次回、そして、第一夜を振り返る感じで、進めます。

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